令和8年度 五農立佞武多

題 名 『本能寺の変』

 織田信長と森蘭丸は主君と最年少の側近として深い絆関係で結ばれていた。「敵は本能寺にあり!」  1582年6月2日、突如信長の家臣であった明智光秀は謀反を起こし、本能寺を戦場へと塗り替えた。明智軍は約1万人、信長軍は約1000人という約10倍という絶望的な戦力差があっても、信長たちは弓や槍、薙刀などを使い応戦したがあまりの戦力差に信長が本能寺に火を放ち、自害を決意する。それを蘭丸は信長が敵に打ち取られないように守ることを決意し、戦った。信長は自害し、蘭丸は敵将に討ち取られるその時まで全力で抵抗したという。
 この作品は燃え盛る本能寺の中、最後まで諦めず抵抗する信長と蘭丸を表し、どんな辛いことがあっても手を取り合い、助け合ってほしいという思いで描いた。



















製作風景

 5月21日

令和6年度 五農立佞武多

題 名 『乙橘姫(おとたちばなひめ)』

 日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃である乙橘姫。尊の東征に従い相模から上総に渡るとき、海が荒れ海神(わたつみ)の怒りを鎮めるために尊の身代わりに海に身を投じたと伝えられています。 作品は、乙橘姫が海神の怒りを鎮めるために、勢いよく海に飛び込んだ勇ましい様子を描きました。
 現代の世の中は海にゴミを捨て、海洋生物などにも悪影響を与えると同時に、豊かな生活を求めた結果、環境問題が山積しています。そんな中、一人ひとりが責任を持ち、環境問題を解決しながら明るい未来を創っていこうという願いをこめて題目を選定しました。

踊り・囃子の練習

 立佞武多本番に向けて、囃子も生徒も練習に熱心に取り組んでいます。

製作状況

 製作は「木組み」から始まり、骨組みをしてから紙貼りをして書き割り・色づけていきます。

令和5年度五農立佞武多出陣

 今年の題目は『源氏物語 龍王』です。作品は、源氏が夢で見た父 桐壺帝の亡霊として現れた龍王の様子を勢いよく描いています。現在、人形部の骨組み、紙貼りを行っているところです。また、体育の授業では、踊りの練習を行っているところです。祭り運行当日、五農立佞武多への声援よろしくお願いします。



運搬・組み立て

 7月28日(金)、五農立佞武多「源氏物語 龍王」の組み立てのため、製作してきた立佞武多を製作小屋から五所川原駅前ねぷた小屋に運搬しました。大型クレーンにより、台座、人形の組み立てが行われ、今年度の五農立佞武多が完成しました。




面の書き割り

 7月10日(月)放課後、現在制作中の五農立佞武多「源氏物語 龍王」に顔の表情を描き入れる「面の書き割り」の作業が行われました。立佞武多倶楽部員の生物生産科3年小野井君が作業に当たり、眉毛、目、鼻、口と墨をつけた筆で慎重に表情を描きました。
 製作は現在、生徒が協力しながら夜遅くまで頑張っています。





令和元年度 五農立佞武多

題 名 『風雲児信長 月下の疾駆』

 五農立佞武多は創立百周年の記念行事として製作され、今年で18年連続の運行となります。今年の五農立佞武多の題目は「風雲児信長 月下の疾駆」です。今年は、お囃子に合わせた踊りや太鼓台車も一新し、生徒が一生懸命に参加することで大いに盛り上がりました。
 また、最高賞である市長賞も受賞することができました。
 祭り期間中は、たくさんのご協力とご声援ありがとうございました。

平成29年度 五農立佞武多

題 名 『水滸伝 張順 水門破り』

 五農立佞武多は創立百周年の記念行事として製作され、今年で16年連続の運行となります。
今年の五農立佞武多の題目は「水滸伝 張順 水門破り」です。
 張順は中国の小説の一つである水滸伝に登場する人物です。性格は負けん気が強く、四、五十里(約20km)を泳ぎ、数日間を水中で過ごすことができるという、水泳の達人でした。その特技を活かして堅気になろうと決心し、 梁山泊入りした張順は水軍頭領のひとりとして活躍しました。
 作品は、敵軍が籠城する城に潜入し、湧金門といわれる堅固な水門を怪力で破る勇姿を描きました。
 これからも、校訓「正剛明朗」、校風「質実剛健」のもと、“元気印の五農髙とふるさとの伝統を継承する五農っ子の情熱”を発信していきます。

平成28年度 五農立佞武多

題 名 『徐福東渡“小泊・権現崎伝説”』

 五農立佞武多は2002年の創立百周年の記念行事として製作され、今年で15年連続の運行となります。
 今年の五農立佞武多の題目は「徐福東渡 “小泊・権現崎伝説”」です。
 古代中国の秦朝の時代、始皇帝に使えた方士、徐福という人物がおりました。徐福は秦の始皇帝に、「東方の蓬莱・方丈・瀛州の三神山に不老不死の霊薬がある」と申し出て、始皇帝の命令により、3,000人の童男童女と多くの技術者を従え、五穀の種子を持って東方に船出をしました。 徐福は中国大陸から朝鮮を経由して日本にたどり着いたとされ、日本全国にその伝説を残しており、その上陸地の一つに小泊・権現崎があります。
 作品は、荒波から姿を現した海龍を始皇帝と見立て、平和な新時代の幕開けを予兆する鳳凰を携えて東渡する徐福を描きました。 我が故郷「津軽」には今も多くの伝説、民話が息づいております。その一つひとつを思い描くことで、故郷の素晴らしさを感じとってほしい、平和で幸せな時代の構築と明るい世になってほしいとの思いを込め立佞武多を製作しました。 今年も、校訓「正剛明朗」、校風「質実剛健」のもと、“元気印の五農髙とふるさとの伝統を継承する五農っ子の情熱”を発信しますので、市民の皆様、観客の皆様、どうぞご支援、応援をお願いいたします。

平成27年度 五農立佞武多

題 名 『不動明王』

「衆生の一切の煩悩と迷いを断ち切り、人々を救うお不動様!」
 
 不動明王は人間界と天界の間にある「火生三昧(かしょうざんまい)」の世界に住むと言われ、「明王の中の王、大明王」とも言われています。我が国には9世紀ごろ、日本史上最高の天才弘法大師空海が中国から持ち込んだとされ、大日如来の使者として崇め奉られました。民間では「大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょう)」「お不動さん」として現在でも親しまれています。 
 不動明王の像は、右手には魔を退散させ人々の煩悩や因縁を裁ち切る「倶利伽羅剣(くりからけん)」を持ち、左手には悪を縛り上げ煩悩から抜け出せない人々を救済するための縄、すなわち「絹索(けんじゃく)」をもっています。また、その身体は煩悩の中にいる人々を救済する「徳」の意味で「青黒(しょうこく)」をしています。足下にあるのは揺るぎない教え、あらゆる苦難に
耐える決意を「金剛石」、すなわちダイヤモンドの原石です。背中にある大火炎は知恵の象徴、あら
ゆる煩悩や迷いを焼き尽くす「かるら炎(えん)」です。また表情は憤怒(ふんぬ)の相を示して
おり、私たちの迷いを払い、全ての人々を救う強い決意の表れです。
   「のうまく さんまんだー ばざらだん せんだー まーかろしゃーだー 
                  そわたや うんたらたー かんまん!」

   この不動明王の御真言(ごしんごん)にこめられた意味は

   「激しい大いなる怒りの相(すがた)を示される不動明王よ!
     迷いを打ち砕きたまえ。障りを除きたまえ。所願を成就せしめたまえ!」
                                  になります。
 
 衆生の安寧(あんねい)を願った弘法大師が生きた時代から1200年を経た今なお、世界は混乱を極めています。本年度五農立佞武多は、社会の荒波を切り拓き、生きて生きて生き抜かんとする強い決意を不動明王に込めて表しました。全校生徒500余名が、志大きく不動明王とともに大きく堂々と歩みます!

平成26年度 五農立佞武多

題 名 『長慶天皇 御所川原伝説』

 五所川原市元町八幡宮の社殿前に「五所川原地名発祥之源地」と書かれた石碑が建っている。 五所川原という地名の発祥については、“岩木川にできた5ヶ所の大きな川原”などいくつかの説があるが、その中で最も有力な説とされるのが御所(天皇の居所)に関するものである。 岩木川の上流にあった旧相馬村(現在の弘前市)の五所の“御所権現社”が水害によって度々流されたが、その都度元町あたりに流れ着いたため、この場所は「御所川原」と呼ばれ、後に「五所川原」になったという。事実、古い文献に「御所河原」と書かれたものがあり、また御所権現は長慶天皇を祀った神社だったと言い伝えられている。 長慶天皇は1368(正平23)~1383(弘和3)年、南北朝時代の第98代(南朝第3代)天皇で、陵墓参考地は全国に多数あり、津軽の旧相馬村もその1つであった。
 元町八幡宮の社殿前には“八幡宮由来”という説明板があり、次のように書かれている。 ※八幡宮由来  ここの御神体はその昔中津軽郡五所の長慶天皇が崩御大葬されたという場所に祠られてあったが洪水にあい、ここ元町の岩木川原に流れ着いたものである。柳の大木にひっかかっているのを発見した新宮の人が拾いあげ宅地内に祠ったが、やがて五所村の人達が探しあててもらいうけて行った。ところが再三流れては不思議に同じ場所に着いたので、これは神様の思召しによるものだと五所村の人達も認め以来この地に祠ることにしたと伝えられている。その年代は明らかではないが、万治三年(1660年)の頃と考えられている。御神体は門外不出であるが、誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇)という。なお,五所川原の地名の由来はこのことによるとの一説がある。 本校は、明治35年1月31日、北津軽郡立農学校として開校し、平成24年には創立110周年を迎え、校訓『正剛明朗』校風『質実剛健』のもと、時代の進展と教育制度の変革に対応し、幾多の変遷を経ながら地域社会の実業教育の中心的存在としてその歴史と伝統を築き上げ、今日に至っている。 本校の立佞武多は平成14年の創立100周年の記念行事として初めて運行された。以来、本校の活力ある学校づくりと郷土の文化・芸能の理解、そして地域社会との連携をとおして社会に寄与出来る心豊かな人間性を育成する目的で、今年で 13年連続の出陣になる。
 今後も勢いよく元気印の五農高を発信するため五農立佞武多は出陣する。

平成25年度 五農立佞武多

題 名 『風神・雷神』

 風神は風袋を背中に背負い、巻き髪、筋骨たくましく牙をむいた青鬼で、雷神は小太鼓を輪にめぐらせ両手にバチを持った赤鬼です。
 風神・雷神は天然現象を擬人化したもので、忽然とした天神のイメージに作り上げたものといわれています。
 日本でも仏教伝来以前より強力な自然神として特に稲作を中心とする農耕文化社会においては豊穣を司るものと見なされていました。
 今年で12年連続の出陣となりました。
 今後も勢いよく元気印の五農を発信するため、五農立佞武多出陣します。
 市民の皆様、観客の皆様、どうぞご支援、応援をお願いします。



平成24年度 五農創立110周年記念立佞武多

題名 『 大昇鯉(だいしょうり) 』

平成24年度 五所川原市『市長賞』を受賞しました!

 登竜門とは、成功へと至るために乗り越えなくてはならない厳しい関門をいいます。黄河上流にある龍門山を切り開いて出来た「龍門」と呼ばれる激流を、一匹の鯉が渾身の力を尽くして遡り、龍神となり天へと飛翔していったという中国の古事に由来するものであります。
 日本では端午の節句に鯉幟(こいのぼり)を飾る風習として今に伝えられ、全国的に親しまれています。また、「鯉の滝登り」は勢いの良いさまを現すたとえで、その雄姿を描いたものは、鯉の限りない生命力にあやかる縁起の良い図柄で、健やかな子供の成長やご一家の末永い隆盛への願いが込められています。
 平成24年は、本校の「創立110周年」の年であります。11月17日に、「青森県立五所川原農林高等学校創立110周年記念式典」を挙行致します。
 平成24年の五農立佞武多、題名は「大昇鯉(だいしょうり)」です。
 創立110周年の節目は、まさに世の変遷の激流を昇り、歩むべき道標を刻みながら勝運を勝ち取った「大勝利(だいしょうり)」の勇姿でもあります。
 今後も、勢い良く水しぶきをあげて滝を登る大昇鯉のように運気上昇に遭心し、「元気印の五農髙とふるさとの伝統を継承する五農っ子の情熱」を発信するため五農立佞武多は出陣します。
 市民の皆様、観客の皆様、どうぞご支援、応援をお願いします。


五農立佞武多 平成23年度題名 『 綱 -天下太平- 』

大相撲の番付における最高位が「横綱」
その横綱だけが腰に締めることが許されているのが白麻製の「綱」であります。
綱は、すべての力士を代表する存在であると同時に、神の拠り代であることの証とされており、
古くは、相撲は五穀豊穣、健康祈願、農耕の豊凶を占う信仰から起こったといわれています。
力士は神に仕える姿としてしめ縄を巻き、四股(しこ)を踏みます。ドシンドシンと土を踏むので
地面の全体が振動して、よく作物ができるというわけであります。
 今回で10年連続の出陣となります。
平成23年の五農立佞武多、題名は『綱 -天下太平-』です。創立110周年の前年祭として五穀豊穣と天下太平を祈り、歴史と伝統ある本校の農業教育が今後も地域社会と共に歩み、綱を張れるように、「元気印の五農高とふるさとの伝統を継承する五農っ子の情熱」を発信するため五農立佞武多は出陣します。観客の皆様、どうぞ応援をお願いします。

五農立佞武多(たちねぶた)フォトギャラリー

平成23年度五農立佞武多運行写真
五農立佞武多が今年も五所川原の街にお披露目です。

8月2日(火)五農立佞武多の組み立て作業を行いました!
学校から搬出。大勢の人手で積み込みます。

組み立て作業1。いったんトラックから物をおろします。

組み立て作業2。土台を組み上げ、クレーンで持ち上げ、固定していきます。
威勢堂々、下から見上げる迫力は満点です!

完成後、小屋の中へ。太鼓にも「がんばろう!東北!!」のメッセージが。



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