菊水寮
由来
明治三十五年一月三十一日「北津軽郡立農学校」として文部大臣より認可を受けた本校は。明治四十年の秋、寄宿舎を竣工。『菊水寮』の歴史はここに始まる。 「菊水」の由来は次のように言い伝えられている。大正二年四月、「青森県立農学校」として本校は新たな時代を迎え、「本校にも校歌を」という気運が高まり昭和七年に校歌が制定された。その当時の校歌の一節に「山水清き不魚住」とあるところを、旧校舎の一部が建っていた地名である「八重菊」であったことから、菊池幸次郎校長により語呂のよい「菊ヶ丘」を用い、「山水清き菊ヶ丘」と改められた。この校歌の一節にちなんで「菊水寮」と名付けられた。
(初代舎監長 安田直不三先生の文による)
寄宿舎教育の目標
地域農業の発展を担う農業経営者を育成するために、寄宿舎生活を通して自主・自律・協同の精神を養い、かつ日常の学習体験と寄宿舎活動体験との緊密な連携を持つことにより、創造力と実践力を兼ね備え地域農業に貢献できる人材を育成する。
寄宿舎教育の行動目標
「五農ブランド」の確立を担うための寄宿舎教育を実践していきながら五所川原地域に貢献できる人材を育成する。
(初代舎監長 安田直不三先生の文による)